55 件の資料が見つかりました。
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広報こしみず昭和58年9月号 広報こしみず昭和58年9月号
本町の観光は、原生花園をはじめ先住民族の遺跡、その他の観光資源を開発し、原生花園から小清水市街に観光客を誘致し、さらに藻琴山へと結ぶ観光コースを作るべきだと思うが、所見を伺いたい。・答弁(町長)イ、第2原生花園の予定地域は自然公園法に基く網...
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広報こしみず昭和60年7月号 広報こしみず昭和60年7月号
ができるでしょうか。小学生から町の史跡・遺跡」23線北2号付近の、涛沸湖に面した急ながけの上にあって、土地所有者山谷忠男氏により長年保護されてきたチャシ(城砦)跡で、深く大きいうろこ状の空堀をめぐらし、一部は三重の堀がつくられ、丘の下には涛...
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広報こしみず昭和60年8月号 広報こしみず昭和60年8月号
たんけん」学習研究社夏休み特集町の史跡・遺跡と思われています。なお、ここには明治初年から男山イヤトムタが定住していたので、住居やイナウサン(幣場)の跡もみられ、食糧にしていた獣骨や貝殻なども多く採集されています。よんでほしいほん(21)...
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広報こしみず昭和60年9月号 広報こしみず昭和60年9月号
民ソフトボール大会会場に落し物町の史跡・遺跡で、石刀及び石刃鏃、石鏃、北筒式土器、磨製石斧など多数の遺物が出土しています。これらの遺物のほとんどは松田氏の収集によるものです。(15)...
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広報こしみず昭和60年10月号 広報こしみず昭和60年10月号
よんでほしいほん10月~11月町の史跡・遺跡と推定されています。なお、この貝塚は明治時代中期に行われた北海道大学調査班による発掘調査と、戦時中の工事によって大きく変形したともいわれています。包含物………シジミ・ホッキ・ホタテアサリ・その他の...
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広報こしみず昭和60年11月号 広報こしみず昭和60年11月号
3日(土)古本市11月~12月町の史跡・遺跡は、止別駅と止別川口の中間、止別川の低地に臨む台端にあります。(止別墓地附近)現状は切通し道路が作られていて、その両側の壁面に堅穴の跡が認められます。埋蔵遺物としては、下層には縄文早期に属する尖底...
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広報こしみず昭和60年12月号 広報こしみず昭和60年12月号
売れましたよ古本市12月~1月町の史跡・遺跡(6)「トウプツ渡船場跡」オホーツク海沿いは河川湖沼が多く、架橋には多額の費用がかかったので、開拓使時代より官設の渡船場が設置された。涛沸渡船場も根室国道の開通により旅行者が多く、渡船料(1人2銭...
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広報こしみず昭和61年1月号 広報こしみず昭和61年1月号
武田繁太郎・ヤヌスの首五木寛之町の史跡・遺跡(7)〔小清水町名起源の泉〕明治23年、網走釧路間に仮県道が開さくされ、駅逓所が開設された折に、道路沿いのポンヤンベツ川付近の湧水が、非常に清冽な飲み水として称美されたことから、駅逓名を小清水とし...
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広報こしみず昭和61年2月号 広報こしみず昭和61年2月号
活動小さな歩みなれど2月~3月町の史跡・遺跡(8)〔野川駅逓跡〕明治24年、釧路道路の開通にともない、水本栄助を初代取扱人として開設、翌年、塚本伊勢太が取扱人となった。この駅逓は放牧地に恵まれず、川湯、小清水から半日の道程にあったので宿泊客...
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広報こしみず昭和61年3月号 広報こしみず昭和61年3月号
損する・田畑の微生物たち渡辺厳町の史跡・遺跡(9)〔日甜軌道水上駅跡〕に描く。この軌道は、昭和17年4月、北海道製糖株式会社(帯広市)小清水専用軌道として、古樋~小清水~水上間の運行を開始、木材、農産物、肥料などの輸送のほか、乗客にも便宜が...
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広報こしみず昭和61年5月号 広報こしみず昭和61年5月号
の張た場報の香はし日芳苗ざた本町の史跡・遺跡(11)〔古樋駅逓跡〕この駅逓は、明治19年、網走根室間の道路開通により設置され、塚本命助氏が駅逓取扱人となり、駅逓所属の牧場12万坪で牛馬を飼育していた。駅逓は、旅人宿、食料品取扱いを主な業務と...
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広報こしみず昭和61年6月号 広報こしみず昭和61年6月号
活動、結婚のための集い、生活、町の史跡・遺跡(12)「土功組合水門跡」盲人施設館長のひたむきな奉仕・愛盲館のことを知ってい小ま出すか和子そよかぜ号の巡回予定6月~7月本道拓殖計画に基づく造田奨励策により、本町でも水稲の試作が行われ、好成績を...