167 件の資料が見つかりました。
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広報こしみず昭和30年1月号 広報こしみず昭和30年1月号
の推進を一層円滑ならしめるため左記により戦後開拓小清水中学校三、開拓者家族慰安映画会一月二十日午後一時於小清水小学校四、役員名誉委員長町議会議長、高橋隆志委員長、町長、藤原教副委員長、開拓農業協同組合長、小山勝広副委員長、東里開拓農業協同組...
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広報こしみず昭和30年11月号 広報こしみず昭和30年11月号
その時折の町政の、苦労の跡がうかがわれ、戦後ながく続いた苦闘が生々しく物語られて居ります。底知れない物価の高とうによる需要額の著しい増加、それに対する三十種に近い税、過税をあざける脈、生活にあえぐ声が、この古い決算書の紙間から響いてくる様で...
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広報こしみず昭和31年2月号 広報こしみず昭和31年2月号
人もなきにしもあらずだろうか?である。終戦後、南瓜とタンゴで露「正直者が馬鹿を見ない時命をつないでいた頃、佐賀代は、いっになったら来る県出身の山口という判事さだろうか?」近頃しきりに筋を通すんが「自分は裁判官として考えさせられる問題である絶...
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広報こしみず昭和31年3月1日号 広報こしみず昭和31年3月1日号
一ら定まってくるだろう。ることであろう。戦後十年一本年は気象状態は昭和八年農地改革と新円切換えで同に略じして居る。豊作はニー水準でス’タートした農業年と絖いた例は極めて稀での中で富農と貧農の階層がある。此れは天候條件によ著しくなって来た事実...
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広報こしみず昭和31年3月28日号 広報こしみず昭和31年3月28日号
推荘運動が展開される。この運動は、『戦中戦後を通して荒廃した森林を復興し鍜水による災害を少くすることを目的として、昭和二卞五年以来、毎年全国的に行われてぃるが、この運動期間中全国で植林された実積は二十疣年の五万三千九百町歩、二億比百万本を皮...
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広報こしみず昭和31年9月号 広報こしみず昭和31年9月号
で八合目あたりまで登れるようになった。終戦後予島、樺太、中国四、監事田中勝雄七の他外地より引揚げ未知″平野勇太郎の土地本町十一区十二区に苙、会計扁原清人狢ちっいて以来、幾多の艱黠辛苦を経了」χに十周年納税について討日球り笞甃っいJ昌霖・二区...
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広報こしみず昭和33年10月号 広報こしみず昭和33年10月号
ますと次の通りです。▽耕地防風林造成事業戦後木材の高騰により無計画に伐採されたまま放置せられており、本町のように耕地の六〇%が火山灰土壌のため風害を招き易いので、この風害を防止するため森林組合が癩癲主体とな一つて、本年は取敢えず四〇‐‐町歩...
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広報こしみず昭和33年11月号 広報こしみず昭和33年11月号
ら、モの決定するということを愿わ一艇設は戦後極めて貧弱であぬ人はない、学校教育の必りましt。文教施設整備着々進む初の名誉町民横道彦吉翁銅像の幕文化の日に開かる名誉町民としての栄誉を永了え、この除幕式が、快晴く後世に伝え3ために、等一に恵まれ...
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広報こしみず昭和34年2月号 広報こしみず昭和34年2月号
に死亡したものと溷揚を有していた者で、終戦後後昭和三十二年三月三十一本邦に引揚げたもの、ソ連日以賍に死亡した者で死亡当時二十五歳以上であったわかるものであれば。外地一者の遺族に給付金を支給さ居住証明として使えます。れます。次に子供で外地の学...
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広報こしみず昭和34年3月号 広報こしみず昭和34年3月号
た。議員の任期が満了するため今回の選挙は戦後四度目です。に行われるものでありまし本道では、百二十九の市で、新憲法のもとに新しい町村で首長の、。百八十三の地方目治の制度がとり入れ市町村で議員の選挙が行わられてから、満十二年になれる予定ですが。...
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広報こしみず昭和34年11月号 広報こしみず昭和34年11月号
確保するのが理想わが国に於ける酪農は、終戦後一時乳牛が激減して衰微の状態にあったが、袒今に於いては国、道、或いは町の寒地農業確立の施笛として乳牛飼育を奨励し、更に生産者の自覚と、積堀的な協力により、益々成果・を挙げっゞあり、今日に罘った、衷...
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広報こしみず昭和35年1月号 広報こしみず昭和35年1月号
命をさげた人々を杞ってある靖国神社が、終戦後連合国総司令部の指令により、国とのっながりを絶たれ、一宗教法人として扱われているのが現在です。第1表歳入(一般会計)科目予算額調定額収入済額収入予算比歩合調定比町税地方交付税公営企業及財産収入分担...