106 件の資料が見つかりました。
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広報こしみず昭和32年1月号 広報こしみず昭和32年1月号
ろであります。め使命を尽すことの新な忝「戦争の農業」から「占領決意を披歴すると共に町民の農業」えそして更に「自各位の御協力をお願い申し立の農業」えと移り変った上げる次才であります。こ。のヤ年の日本農業の発展昭和三十こ年の年頭に当り逎程に則し...
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広報こしみず昭和32年3月号 広報こしみず昭和32年3月号
に匕別駅より約三百米の砂山で、忿二次世界戦争当時の監視哨が頂上にあつた見晴しがよく斜里岳、藻琴山、オホーツヽク海をながめ北側に旧土人居住の遺蹟がある三、神浦俗名ヤマトの沢と称し、明治三十四年年土人救護法により土地が分与された時、この地に居住...
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広報こしみず昭和37年11月号 広報こしみず昭和37年11月号
二万四千円までは併給されることになった。戦争公務による年金の場合は七万円まで併給になります。現在、福祉年金が全額または一部支給停止のかた、又未申請者で今回の改正に該当する人の手続きは十一月末頃に受付けできるよう住民課厚生係で事務を進めていま...
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広報こしみず昭和40年12月号 広報こしみず昭和40年12月号
広報こしみず沖縄の霊石を伝達大東亜戦争にあたり、沖縄本島で戦死した北海道出身者の慰雲祭が去る9月30日英霊の眠れる現地、『T北霊碑』の建立されているところで行なわれることになり、この慰霊祭に参加する本道代表者の1人として藤原町長も選ばれまし...
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広報こしみず昭和42年4月号 広報こしみず昭和42年4月号
時金が支給されることになりました。1日清戦争から満州事変までの武功により、金鵄勲章を授与されたことにより、昭和二十年末まで金鵄勲章年金を支給されていた者。(支那事変の武功により金鵄勲章を授与されたかたは除かれます)2昭和三十八年四月一日に、...
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広報こしみず昭和42年7月号 広報こしみず昭和42年7月号
遺族のかたに昭和十六年十二月八日(大東亜戦争)以後に死亡された軍人、軍属の遺族のかたで。まだ遺族年金または遺族扶助料の支給を受けていないときは。町役場住民課厚生係までおいでになって、請求の手続きをしてください。特別弔慰舎芳円が支給されます。...
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広報こしみず昭和43年1月号 広報こしみず昭和43年1月号
心がけが必要です。また、最近のような交通戦争を考えると、老後のことだけでなく、いつ、どう副分団長高田広司庶務部長津野林吉第一部長居林福男他消防団員一同民生委員泉国府光次小清水須貝忠雄小清水吉村豊小清水根本か志く水上佐藤光夫萱野三品一雄共和臼...
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広報こしみず昭和43年10月号 広報こしみず昭和43年10月号
であります。この間経済情勢の変動、或いは戦争等に起因して幾多の変遷もありましたが、今や農林工産物の生産高は管内有数の地位を占めるに至り、これ等の豊かな資源を主体とする各種産業も盛々発展を遂げ目覚ましい活況を呈しつつあります。その間先輩諸氏の...
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広報こしみず昭和44年4月号 広報こしみず昭和44年4月号
学自治問題を頂点として安保関係、ベトナム戦争、原潜問題等々、非常に難関が山積みしており枚挙にいとまがありません。これらのことは、好むと好まぎるとによらず本町にもその影響のきざしが日を追って迫ってまいることと存じます。このような情勢に対処する...
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広報こしみず昭和44年6月号 広報こしみず昭和44年6月号
おそいかかってくるか知れません。布告なき戦争とはこのことをいうのでしょうか。本年一月から網走支庁管内の全町村が共同ではじめた交通災害共済制度はこのような社会的問題一″一月景にして設立されたものでありますが、残念ながらその加入率は十八%と極め...
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広報こしみず昭和45年2月号 広報こしみず昭和45年2月号
なんと本町人口の約一・七倍もの人達が交通戦争の犠牲になり、尊い人命がうばわれたことになります。本町でも昨年一年間で交通事故が二十九件も発生、けがをした人五十二人死亡した人は五人もおり、相変らず悲嘆と絶望と痛憤の涙が繰り返されております。ほん...
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広報こしみず昭和45年4月号 広報こしみず昭和45年4月号
ないし、交通災害共済事業などは現在の交通戦争の最中ではどうしても必要なことですまた、最終年度ではあるが、統合中学校々舎の建設もあらゆる面から子弟教育の岸業効果を高めるためにぽう大なお金を必要とします。このように財政需要は昨年度よ吁本年度、本...