53 件の資料が見つかりました。
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広報こしみず昭和32年3月号 広報こしみず昭和32年3月号
高国の或る酋長の息子といわれる男山というアイヌ人であった。明治六年春。神浦神社として杞られ、男山弥伊登牟多生命(オFコヤマヤイトムタリヌジミコー)と命名された。生活改善へ冬期衛生懇談会開催家の中の人全部が健康でほがらかに生活しうる事くらい幸...
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広報こしみず昭和41年9月号 広報こしみず昭和41年9月号
町の歩みを顧りみるとき、文化五年に和人がアイヌとともに入地し、開鑿(かいさく)の斧を入れられたのが本町開拓の嚆矢(こうし)でありますが、往時は、老樹天日をさえぎり、人跡未踏の鬱蒼(うつそう)たる未開地でありましたが、いみじく雄々しい先人の不...
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広報こしみず昭和43年10月号 広報こしみず昭和43年10月号
が町の歩みを顧みるとき、文化五年に和人がアイヌと共に入地して沿岸漁業に従事したことが本町に和人渡来の端緒でありますが、明治二年開拓使が置かれて蝦夷地を北海道と改め、国、郡を制定せられるに当り北見国斜里郡と称せられ明治五年始めて戸長制が布かれ...
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広報こしみず昭和46年7月号 広報こしみず昭和46年7月号
に作りたいと思いますし、本町の区域内にはアイヌの追跡等非常に珍らしいものもあり公費を投入してもそれらの保存をはかり町の自然公園なり、史跡公園なりを発展させたい等、具体的ではあまりせんがそういう構想もあります。○教育問題について質問全道八学区...
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広報こしみず昭和46年9月号 広報こしみず昭和46年9月号
らしい物を見てきました。なかには、むかしアイヌのヅガイコツもありました。それから、そこをでてモヨロ貝塚に行きました。そこにも人の骨がありましたっぎに、小林水産に行ってカマボコができあがるまでを順番に見せてもらいました。最後は、カマボコをふく...
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広報こしみず昭和47年8月号 広報こしみず昭和47年8月号
うえんきょうもありました。また店の近くにアイヌの人が、はくせいの熊のそばにすわっていました。美ほろとうげから、すな湯に行きそこでおべんとうを食べました。すな湯でぼくはおよぎました。アゴまである深いところへも入りました。水の中で目をあけると、...
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広報こしみず昭和48年6月号 広報こしみず昭和48年6月号
ましょう。見て楽しむ本○ユーカラの世界=アイヌと日本人堀田善衛北原金司山口桂星新一松下竜一更科源蔵○ドナデユの遺書=日曜日にはバラを〞の原作者シムノン……愛と憎悪に満ちた華麗なドラマ○スフィンクス=陰謀が渦巻く政治新入荷した図書の案内フレト...
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広報こしみず昭和48年8月号 広報こしみず昭和48年8月号
○安楽死○蒼ざめた馬○蜜の味教養書○若きアイヌの魂○野獣撮影○科学マジック○面白い科学実験室○二〇世紀の天文学○日本の考古学○鉄路の斗い一〇〇年中原弓彦増岡敏和一本多勝一牧野都治鳩沢佐美夫戸川幸夫スエジーリンドゼバーグス和島誠一郎国鉄施設局...
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広報こしみず昭和48年9月号 広報こしみず昭和48年9月号
、現在の止別の地名となった。また一説に、アイヌ文化の繁栄地であった。ヤムペツ・ヤワンペツ=止別川ヤム(冷たい湧水)ペツ=川)=冷たい湧水のある川。至る所に湧出する湿地の泉(ヤチマナコ)がある湿原の川で、小清水峠に源を発する止別川の川口で、斜...
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広報こしみず昭和48年12月号 広報こしみず昭和48年12月号
のこと北陽小六年大塚弘規うちにはIぴきのアイヌ犬がいます。この犬は、去年の九月ごろ買ったメスの犬です。名前は「マリ」とつけました。買ったばかりの時は、約四十センチぐらいのとても小さな犬でした。でも、そのわりに足が太くて目も大きく巻き尾のかわ...
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広報こしみず昭和49年4月号 広報こしみず昭和49年4月号
世界に新しい魅力を発見した好著。梅原猛○アイヌ史への告発と挑戦文芸もの○黄色い船子ども心に親達の精神状態はどのように影をおとすだろうかを弾力ある観察力で。北杜夫○歌枕読売文学賞受賞=短篇集。中里恒子〇ピエロの歌狐狸庵先生の純社会派=長編小説...